2016年08月08日

アナザパラダイスをつくるために命がけになった5000日間

ヨット


アナザパラダイスをつくるために命がけになった5000日間

私は、社会人になってから、いや厳密に言うと大学4年の秋から「会社外のパラダイスづくり」

の準備と活動を実行してきた。会社外に「異業種交流会」をつくり、それを日本一の会にしようと多くのエネルギーを注ぎ込んできた。

なぜそのような会をやろうとしたか?それは社会に出て、自分を見失い、疲弊し、魅力を失っていった先輩を多く見てきたからである。学生時代のアルバイトでも「輝きと魅力を失った30代40代」をみて、それを事前に避ける方法を真剣に考えたのである。

その時のスローガンが「社会に出ても自分を失わず、会社に流されず、会社外にパラダイスを維持しよう。

そして10年後も子供の手を引きみんなで楽しく踊ったり、歌ったり、最高の時を過ごそう」
であった。

仲間を募り、東京港区には「リトリート(隠れ家)」を設けた。

主催グループが会議をしたり、語らいをするための「隠れ家サロン」を設けたのだ。

最初はそのサロンの一室に私が居住し、その会の運営のための作業をひたすらおこなった。

作業の多くは毎月開催されるイベントの企画会議、さらには案内のためのテレアポ、さらにはDMの制作と発送作業であった。

利益はほとんどあげず、出た利益は隠れ家サロンの運営費に補填した。

会社が終わると毎日サロンに帰り、そこで作業をしていた。スタッフが集まり、夜な夜な人生について
語らったり、酒を酌み交わしたりもした。東京の街やリゾートで開催される大小のイベントは15年間で、

400回にも及んだ。恋も友情も夢もそしてビジネスも会のなかでおおいに盛り上がった。

現在毎月第三日曜日に開催する「否定厳禁」のルールのもと夢を語る「自由人生塾」もこの会のなかの催し物の一つであった。

会のなかで多くのカップルが誕生し、30才前後の頃は互いの結婚式を盛大にお祝いしあった。

今では家族ぐるみのイベントも増え、大きなファミリーとなっている。

私はこの「社外のパラダイス」の大切さを世の中に広げるため、尋常ではない熱意と、思考と、体力を注ぎ込んだ。さらには私財も投じ、ここからは何の金銭的な利益をえることはなかった。

スタッフの多くが、会社員、副業をやっている事実が発覚して会社生活に迷惑をかけてはいけない。

そのような理由もあった。しかし、わたしはこの、15年間に及ぶ、膨大なボランティア活動。

しかもあるいみ会社の仕事をないがしろにもした、活動から、多くのものを得た。

まずは皆が笑ったり、感動したり、泣いたり喜んだりできる場を提供し、その笑顔や感動に包まれることができたという点である。さらには利害関係を度外視した友達。さらには想い出の絆、そして、自分が

本当にどんな仕事に向いているのかを知ることもできたのだ。

このパラレルワークのおかげで、わたしの未来は生まれた。

パラレルワークが本業になり、たくさんの書籍が世の中に生まれたのである。



■潮凪洋介メルマガ
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芝浦ハーバーラウンジ:生きることを楽しむアナザーパラダイス
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Posted by shionagi1 at 11:34│Comments(0)TrackBack(0)

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